自治体の人口について調べました

僕の住む西粟倉村はおおよそ1500人弱の村ですが、こういうサイズ感の自治体って日本全体で見るとどんな立ち位置なのかイメージが沸かなかったので、簡単に調べてみました。

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日本にある市町村の数は1718、それに東京23区を足して1741の自治体があります。このうち、1万人以下のものが505で、29.0%を占めています。意外と多い!3万人以下まで広げると、54.4%になります。日本にある自治体の半分が西粟倉のお隣さん、美作市(2万9千人程度)と同じかそれ以下の人口ということになります。これだけ聞くと、日本人って小さい自治体に住んでる人が多いのかな…?と思いがちですが、実際の人口分布を見ると、以下の通りになります。

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日本に住む1億2千万人くらいのうち、その70.7%が人口10万人以上の町に住んでいます。西粟倉近隣でいうと、津山市以上ですね。そして50万人以上の都市に住んでいるのが28.3%、100万都市に住んでいるのは総人口の15.7%になります。多数決だけでの意思決定では、地方にある小さな自治体がフルボッコになるだろうことが良く分かります。西粟倉と似たサイズの自治体500を集めて連合を組んでもたった2.1%にしかなりませんので。これは大阪市単体と同じくらいです。

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ついでに人口密度も調べてみました。平均で思い切り丸めちゃいましたが、1万人以下と10万人以上の自治体だと人口密度にざっくり62.0倍の差があるようです。さもありなん。ちなみに僕がこの前まで住んでた中野区の人口密度はおおよそ20,000人/km2で、現在の西粟倉25人/km2の実に800倍!まあ確かに1日ですれ違う人の数は数百倍くらいの違いがある感じはします。1日で話したりする人の数はそこまで変わらないですけどね。

改めて西粟倉がどういう自治体なのか、多少は全体感を持って理解できたかもしれません。あと書きながら、説明フォーマットとして「〜が100人の村だったら」とか良いのかもなと思ってたら実際ありました。日本版あるの知らなかった。もっと色々見たい方はそちらどうぞ。何か間違ってたりしたら教えてください!なお、使ったデータは以下の2つです。

年末年始というウソ

この時期になるといつも思うのですが、年末年始というものは面白いです。

12月31日や1月1日というのは冬至春分などと違い、自然においては特殊なことは全く無いはず。宇宙人に地球を見せて、この惑星の1年、つまり公転周期をどこで区切るのが自然だと思う?と聞いたら今の暦は間違いなく採用されないでしょう。

そんな訳で、年の瀬というのは一部の人間が作り上げた巨大なフィクションなのです。軽くウィキペディア先生で調べてみると、昔にどうしても3月21日を春分にしたい人達がいて、それのお陰でいまの1月1日をいつにするかが決まったらしいです。スゴい。

それなのに、この迫り来る「年末感」。肌感覚として、ああ今年も終わるんだという一抹の寂しさがあります。カレンダーの数字が変わるだけなのに。いや日本は社会全体がそれに沿って成立する仕組みなので、当たり前ではあるんですけど。

そして同じように、年始には「今年は○○を頑張るぞ!」とか、そういう心機一転を図るひとも多いと思います。2017が2018になって、何となく新しい自分?新しい時代?になるという感覚。これもまた、カレンダーの数字が変わるだけなのに。

つまり年末年始というのは、人間の感覚は思い込みでかなりコントロールできるんだな、という証左になるんじゃないかと。作り上げたフィクションのチカラで、社会全体がせわしなくなったり、めでたくなったり。そういうの、面白いなと感じます。

僕だけですかね。

きっと普段の日常でも、うまいこと思い込むことができれば、年末年始と同じように時間の連続性に自分なりの区切りをつけることができるんですよね。昨日は昨日、今日は全く別の一日。そんな感じで、毎日新鮮に生きられると格好いいかも。疲れそうでもありますが。

またまとまらない文になりましたが、今日は西粟倉村役場の仕事納めでした。皆さん有難うございました。来年も宜しくお願い致します。

残すもの

50年後。日本は人口3割減の8800万人で4人に1人が75歳以上。想像だにできません。大変そうです。それだけでなく、技術屋や学者な知り合い達はみな、この国を待つ未来について悲観的な未来を描いています。そんな半世紀後を見据えて山を経営することを考えると、ちょっとイロイロよく分からなくなります。その時代における幸せとはどんな形をしているのだろう?みたいな。正直あまり考えても無駄だと思うので、どんなにツライ時代でも、山があると楽しく生きられるなーって感じになると良いなと。そのための鍵は、資源としての安定性と心理的距離ではないかと疑ってます。違うかもですが。安定して活かすことができる山と、魅力的で親しみやすい山との付き合い方、というものを残せるといいなー。

地獄への道

地獄への道は善意で舗装されている。学生時代、国立療養所である多磨全生園でハンセン病についお伺いした時によく思い出した言葉です。らい病の差別についての話も心には残りました。しかし、より衝撃を受けたのは「患者さんにより良い治療を受けて貰いたい!」と一般的には善良とされるであろう動機で動いた人達の話です。彼らの「愛ある」運動の結果、一生を隔離施設に閉じ込められ、治療薬がありながら与えられず、誰にも顧みられぬ劣悪な環境で過ごす人達がいた。確かに、地獄への道は善意で舗装されていたのです。

では、自分の善意が地獄へと通じないようにするにはどうすればいいのか。相手のことを考えながら正しい情報を得るようにして…なんて思ったりしますが、当時の話を聴く限りその辺のハードルは超えている人も多かった様子。つまり中途半端な気持ちではダメで、そして生半可な知識でもダメで。善意というのは中々に扱いが困難な凶器です。未だにどうすればいいのか不明なことが多いですが、僕が現時点で持っている方針は、美談からは距離を置くこと、問題の構造を意識すること、そして渦中の人とよく時間を共有すること。

そんなことを言っていたら何もできないという話もありますが、地獄への歩を進めるよりは一度立ち止まって深呼吸でもした方がいいのでは、とも。たぶんUXデザインとかと指向性は似てるんじゃないかなと考えてます。ちなみに西粟倉のような小さな村を相手にすると、比較的それぞれの人達と時間を一緒に過ごしやすいので良いなと思います。難しいのは、例えば50年後の主役になるだろう人達とは一緒の時間を過ごすことができないということ。山の経営には彼らとともにありたいですが、彼らはまだ生まれてないですから。未来に向けた善意というのが空振りしやすいのは、そういうことなんですよね多分。

木で服をつくるフィンランド

諸事情でフィンランドの山について少し情報を頂いたので、簡単にまとめます。

  • フィンランドの林野政策は2015年に制定された10ヵ年計画を基本としている。 林業会社の競争力強化、林産物の多様化、持続可能な山林管理が政策の目標。

  • 森林蓄積は過去40年で40%増加した。同時期で伐採した原木は23億立米。2016年におけるフィンランドの製材量は1140万立米。今後20%成長予定。

  • 生物多様性に向けた保護区は過去40年で3倍になった。現在は総面積の12%。気候変動は森林成長を促すが、嵐やキクイムシによる被害の増加が予想される。

  • 森林関係はGDPの4%。65000人の直接雇用、1兆円の価値を生み出している。価値ベースでいくと、フィンランドの輸出における22%は森林関係によるもの。

  • エネルギー、被服、繊維、複合材料、製薬、化粧品、建材での需要増を予想。生物経済を13兆円規模にし新たな雇用創出を行う戦略があり、森林はその中心。

被服や繊維というのが木材需要の予測にフツーに入ってるのが新鮮でした。実際、そういった林産物の多様化に向けて業界全体の組み直しをしなければならないとのこと。

いつか施業についても細かくお伺いしたいです。あと大使館の方に頂いた、フィンランド林業関係企業リストを貼っておきます。ご参考まで。

171017 Finnish Solutions in Mechanic Forestry Manufacturing.pptx - Google ドライブ

カラオケしてきた

僕の中でBUMP OF CHICKENは「こじらせてる時に聞いてしまうバンド」不動の第一位です。こじらせてない時も、才悩人応援歌の出だし部分はしばしば思い出します。

得意な事があった事
今じゃもう忘れてるのは
それを自分より
得意な誰かが居たから

自分が○○できるから、という理由で何かを始めると、他人も○○できるという事実に直面した時に辛いです。何をするにしても、根っこは自分の中で守れないと駄目。

…みたいなことを書くから、こじらせてる感が出るんですよね。今日は諸々これから事業に必要な備品を検討したりいつもお世話になってるお宅で薪いじったりしてました。

最近その家に備えられてるカラオケが更にアップデートされて、JOYSOUNDが入りました。これまでは限られた数百曲ですが、これからはバンプでも何でも歌えちゃいます。

おやすみなさい。