作業道の日記

最近は台風等で遅れた今年度の現場検査などを行いながら、来年に向けて丸太を搬出する場所の計画を立てています。計画って(笑)伐る範囲決めるだけでしょ?と思いがちですが、実際は作業道の設計に神経をすり減らすことになります。

非効率な道は費用が売上よりもかさみ、赤字を増やすだけ。岩盤を避け、山主さんとの契約状況を鑑みながら設計します。机上では分からない部分も多いので、実際に歩いて調査します。当然ながら道はありませんので、山を掻き分け歩きます。

西粟倉は山と村が近いので、ヘタな道を入れると土砂の流出があったりして大変です。実際、大雨の後は「川が濁っているが、これは作業道のせいではないのか?」という連絡が役場に入ったりします。無関係なことも多いですが、注意しなければ。

変数が多く面倒な作業ですが、作業道が決まらないと搬出範囲も決まらず、仕事の量や丸太の量も分かりません。車輌で丸太を伐出するシステムの場合、一番のキホンがこの作業道設計になるのです。どんな仕事でも、デザインって大事…。

林業が木を伐るだけの仕事でないということは前にも書きましたが、こういう部分ってなかなか日の目を見ないので何か上手いこと周りのひとにやってる内容を伝えていきたいですね。これからの課題にしたいと思います。

ちなみに作業道の設計はそう遠くない未来、より精度の高い測量データとシミュレーションにより自動的にできるようになるはず。そのままは使えませんが、既に一部やったりしてますし。林業も、ソフトウェア産業になっていく流れっぽい。

これまでを支えてきた知恵を如何に新しい時代に対応させていくか。まずは面倒な作業をひとつずつ地道に泥臭く真似ぶしかありません、多分。未来を見据えながら、ですが。

分からないことが多すぎて

ネット上で最近流れていた「NHKが真珠湾攻撃の日にアメリカ国歌を流してしまった」という噂をご存知でしょうか。かなり笑える話だと思い、気になってました。

この話が、どうやら完全にウソでも無さそうだということを個人が調査した記事が出ています。その過程と結果がしっかり並べてあってとても面白いです。

この手の都市伝説的な話というのは、話を聞いた人に対して何らかの感情を巻き起こすことができればその役目を果たしたと言えるでしょう。浅かろうが深かろうが。

その時に、真実かどうかはほとんど問われないのが最近の流行りみたいです。TEDの動画とかわりとその象徴な気がします。いわゆる「フェイクニュース」の蔓延も。

そんなご時世にあって、わざわざ一歩ずつ確認しているのは何だか清々しい気持ちになります。そうだよね、ちゃんと調査すると分かることあるよね!みたいな。

ただ逆に、ちゃんと調査しないと分からないことだらけだよね…のような生温い絶望みたいなものも無きにしもあらずではあります。これは元記事にも書いてあります。

もしどうしても正確なことしか話したくないのだとしたら、このように膨大な資料の海を泳ぎきるか、ただただ沈黙するしかありません。しかし、幾重にも重なるフットノートを抱えて生きるというのは、はなはだ息苦しくはないでしょうか。

分からないものに対して、どうやって「分からないまま正しく」対峙するのかという技術がこれからの時代は大事な気がするんですが、どうも解がありません。

うへー、正しいってタイヘン!と感じながら適当に生きていくくらいが、今はちょうど良い/できる最低限なのかも知れません。

悩むのは苦しむだけ損

悩むことに良いことなどありません。『有頂天家族』の中で森見登美彦が単純明快に斬り捨てています。

世に蔓延する「悩みごと」は、大きく二つに分けることができる。一つはどうでもよいこと、もう一つはどうにもならぬことである。そして、両者は苦しむだけ損であるという点で変わりはない。努力すれば解決することであれば悩むより努力する方が得策であり、努力しても解決しないことであれば努力するだけ無駄なのだ。

気持ちいい。全くその通りです。動くことでどうにかなるなら動けばいいし、どうにもならないのならそれについて考える必要はない。

では何故ひとの世に悩みが尽きないのでしょうか。新たに動くことを恐れているのか、それとも無駄な考えに逃げ込んでいるのか。

恐らくですが、「どうでもよいこと」なのか「どうにもならぬこと」なのか判断できない、どちらともつかぬ範囲がクセモノなんだろうなと思います。

努力することで解決するのかどうかが分からない、つまり努力した見返りがあるのかどうか見極めることができない範囲の世界です。

人間の見通せる部分なんて限られてますので、困ったものです。

こうなると自分が分かる範囲の情報に目を向けるしかなくなり、自分が分かる範囲の代表例である自分の気持ちなんかに解を求めることに。

でも案外自分の気持ちなんてのもひだが多く結局あいまいになってしまいツラい!というのが多くの悩みの原因なのかななんて妄想します。

まあ原因が分かったところで悩みが消えるワケではありませんが…。

しかし「どうでもよいこと」なのか「どうにもならぬこと」なのか、それとも「どちらともつかぬもの」なのかを整理すると、少し気がラクになったりしないですかね?ならないか。

先程の『有頂天家族』はその後でこう続きます。

しかし、そう綺麗に割り切れないときには、いわば当座の気散じと言うべきものが必要で

これもまた、全く以てその通り。

やりたいことと幸せ

やりたいことをやると幸せになるという仮説は納得しやすいですが、ではやりたいことをやらないと幸せになれないのか?という疑問が首をもたげます。

今日はあるビジコン?みたいなものの発表会にメンター的な立場で参加したのですが、そこはとても純度の高い「自分はこれをやりたいのだ」という想いが並ぶ場でした。

そういう時にその側にいる人達から「やりたいことがない自分はどうすれば」みたいな話が出てくることがあるんですが、やりたいことが無ければソレはソレで特に気にしなくて良いハズでは?と少し違和感を覚えます。

もちろん、やりたいことをみつけること自体がやりたいことであればいいのですが。

とても純粋な「やりたいこと」をやっている人ってどうしようもなく輝くので、とても美しくて力強くて、気づけば自分もいつかきっとあんな風に…!みたいな気持ちになるんですよね。

でもそれは幸せになるために必須なんでしょうか。

幸せを考えると、自分がいま楽しいかどうか、人生をしっかり生きられているか、一瞬一瞬に命がかかっているか、ということには気をつけた方がいいと思うのですが、これが自分のやりたいことだったろうか?という話はそこまで重要じゃないはずでは…なんて思います。

まあきっと自分が「やりたいこと」なら自然と覚悟が決まったり集中できるはずだという前提があるんでしょうが、それは疑われるべき前提なはず。

意識しようがしまいが全ての時間は自分の人生として過ぎ去るものなので、命を賭けられるものを探すのに時間をかけるよりも、まず命を賭けてみて、違うかなと思ったら新たに試してみる。そんな流れの方が、特にいま何も見つかっていないひとはキラクなのでは。

そんなことを考える日でした。

忘年会の日記です

本日は役場で年忘れの会でした。つい今しがた、自分はこういう人数でのこういう会はほぼほぼ初めてかも知れないということに気づきました。ずっと多くて20人くらいの組織にいたもので。

意外と飲め飲めみたいな圧力もなく(勝手に楽しく飲みましたが)割と良い雰囲気の会だった気がします。個人的なハイライトは福島さん六十一歳のヘビーローテーション。ノリノリでした。

僕はあわくら荘という場所で客室を改装して作られた部屋に住んでるのですが、本日の忘年会はこのあわくら荘が舞台でした。1分以内に自宅へ帰ることができるという恵まれた環境…。

しかし二次会は恵まれた環境を脱して、先述の福島さん宅へ送って頂くことに。カラオケをひたすら楽しみました。福島さんは自宅の車庫を改装してカラオケルーム的なのを作ってます。

家をサクッと改造してカラオケにするというのは、なかなか東京では無いんじゃないかなと思います。まあ村でもあまりないですが…。こういうことが気軽に選択肢に挙がるのはスゴイ。

再び送って頂き、自宅へ。久々に6時間以上のみつづけました。明日は今年一年を振り返るプレゼンの日。頭痛がないことを祈るばかりです。

酔いが醒めたら、今日何回か聞いた「西粟倉はちょうどいい」というのについて少し考えたいと思います。おやすみなさい。

カナダのひとだった

森林管理について何かいい感じの情報ないかなーと思って、某巨大コミュニティサイト(英語)に投稿したところ、

「おいおい日本からの投稿だなんて珍しいな!頑張れよ!」

と凄く応援してもらってしまった(情報はほとんどくれなかった)。人工林の面積が世界7位の国が果たしてこれでいいのか。

年末に向けていろいろ海外に向けて投げつけてみようと改めて思う話。

あと英語圏でもわりと林業関係の情報はネット上のやりとりが活発ではなさそうでした。Podcastとかみんな凄く探してるみたいだったし。

こういうところ、ちょっと草分け的な動きができるかもしれないですね。面白そう。

でも次点は「海がきこえる」かも

ジブリ映画が好きです。ご多分に漏れず。

どれも好きですが、一番は『紅の豚』です。作り手の身勝手な夢と無駄な浪漫が詰められていて、とても気持ちが良い。宮﨑駿の戦争への嫌悪と戦闘機への憧れという矛盾する気持ちが表れてたりもするんだろうと背景を色々知った今では思いますが、ただただ飛行艇に乗ってみたくなるワクワク感が最高です。やはり瀬戸内に行くべきなんだろうか…。

ちなみに西粟倉にはタタラ製鉄を行っていた集落があったそうです。『もののけ姫』に出てきたやつ。時代や規模はかなり違うようではありますが。はじめて知った時は驚き、興奮しました。その集落から来た方がお好み焼き屋さんをしていると聞いてもっと驚きましたが。作業道のついてない山を歩いてる時は、こだまの存在が脳裏を掠めます。

山と人の関係を考えるとき、原体験にホンモノが無い自分には宮崎映画の自然観が棲みついているのを感じます。それが良いか悪いかは分かりませんが、そして時おりそのせいで少し気後れすることもありますが。ある個人の脳内から生まれた虚構の世界が、こうして他人の自分に息づくというのは本当に凄い。やっぱり宮﨑駿は巨匠なんですね。

世界観を感じる仕事ができる人は憧れます。

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