悩むのは苦しむだけ損

悩むことに良いことなどありません。『有頂天家族』の中で森見登美彦が単純明快に斬り捨てています。

世に蔓延する「悩みごと」は、大きく二つに分けることができる。一つはどうでもよいこと、もう一つはどうにもならぬことである。そして、両者は苦しむだけ損であるという点で変わりはない。努力すれば解決することであれば悩むより努力する方が得策であり、努力しても解決しないことであれば努力するだけ無駄なのだ。

気持ちいい。全くその通りです。動くことでどうにかなるなら動けばいいし、どうにもならないのならそれについて考える必要はない。

では何故ひとの世に悩みが尽きないのでしょうか。新たに動くことを恐れているのか、それとも無駄な考えに逃げ込んでいるのか。

恐らくですが、「どうでもよいこと」なのか「どうにもならぬこと」なのか判断できない、どちらともつかぬ範囲がクセモノなんだろうなと思います。

努力することで解決するのかどうかが分からない、つまり努力した見返りがあるのかどうか見極めることができない範囲の世界です。

人間の見通せる部分なんて限られてますので、困ったものです。

こうなると自分が分かる範囲の情報に目を向けるしかなくなり、自分が分かる範囲の代表例である自分の気持ちなんかに解を求めることに。

でも案外自分の気持ちなんてのもひだが多く結局あいまいになってしまいツラい!というのが多くの悩みの原因なのかななんて妄想します。

まあ原因が分かったところで悩みが消えるワケではありませんが…。

しかし「どうでもよいこと」なのか「どうにもならぬこと」なのか、それとも「どちらともつかぬもの」なのかを整理すると、少し気がラクになったりしないですかね?ならないか。

先程の『有頂天家族』はその後でこう続きます。

しかし、そう綺麗に割り切れないときには、いわば当座の気散じと言うべきものが必要で

これもまた、全く以てその通り。