年末年始というウソ

この時期になるといつも思うのですが、年末年始というものは面白いです。

12月31日や1月1日というのは冬至春分などと違い、自然においては特殊なことは全く無いはず。宇宙人に地球を見せて、この惑星の1年、つまり公転周期をどこで区切るのが自然だと思う?と聞いたら今の暦は間違いなく採用されないでしょう。

そんな訳で、年の瀬というのは一部の人間が作り上げた巨大なフィクションなのです。軽くウィキペディア先生で調べてみると、昔にどうしても3月21日を春分にしたい人達がいて、それのお陰でいまの1月1日をいつにするかが決まったらしいです。スゴい。

それなのに、この迫り来る「年末感」。肌感覚として、ああ今年も終わるんだという一抹の寂しさがあります。カレンダーの数字が変わるだけなのに。いや日本は社会全体がそれに沿って成立する仕組みなので、当たり前ではあるんですけど。

そして同じように、年始には「今年は○○を頑張るぞ!」とか、そういう心機一転を図るひとも多いと思います。2017が2018になって、何となく新しい自分?新しい時代?になるという感覚。これもまた、カレンダーの数字が変わるだけなのに。

つまり年末年始というのは、人間の感覚は思い込みでかなりコントロールできるんだな、という証左になるんじゃないかと。作り上げたフィクションのチカラで、社会全体がせわしなくなったり、めでたくなったり。そういうの、面白いなと感じます。

僕だけですかね。

きっと普段の日常でも、うまいこと思い込むことができれば、年末年始と同じように時間の連続性に自分なりの区切りをつけることができるんですよね。昨日は昨日、今日は全く別の一日。そんな感じで、毎日新鮮に生きられると格好いいかも。疲れそうでもありますが。

またまとまらない文になりましたが、今日は西粟倉村役場の仕事納めでした。皆さん有難うございました。来年も宜しくお願い致します。