価値というかレッテルにもなる

西粟倉村の人口はおおよそ1500人弱。大学の1学年よりも少ないです。

それくらいの人数が同じ場所でずっと過ごしているので、だいたい誰でも知り合いの知り合い程度に収まります。移住者が100人程度いると言えど、それぞれ何らかの繋がりがあったりして、結局は○○の○○さんみたいな話で通じるようになります。

僕は東京出身です。23区の人口はおおよそ920万人程度。西粟倉の数千倍です。僕の生まれは23区外の小金井市ですが、それですら12万人程度。80倍近くになります。逆にこうなると、人の繋がりは自分の周りだけで終結して、無理して把握はされません。

人間の価値みたいなものが、全然違うと感じます。ただ歩いているだけの人間。西粟倉では誰かな、なんて意識されたりします。東京では、背景として処理されます。何もしないただの存在が、村ではちょっとした価値として認識される気がします。

それが良いかどうかはまだわかりません。価値というのは時に重荷になりうるので。でも東京で、自分がぺらぺらに引き伸ばされているような気持ちになったことがある人は、ちょっと村なんかに目を向けても良いんじゃないかなと思います。

逆に、いろいろ全部リセットしたいと思う人は東京とか良いのかも知れません。木を隠すなら森、人を隠すならということで。

気軽にそれぞれを経験して流動するような仕組みができれば、全体としての幸せの総量は上がると思うんですが。