いつまで続くか賭けますか

論理派と感覚派。その対立軸はどうなのって感じですが、僕はどちらかというと感覚派です。

ちゃんと勉強したことないので多分なんですが、論理というのは考えの流れを説明したりするものです。たとえば「お腹が減った」というスタート地点から「麻婆茄子を食べよう」というゴールに辿り着くまでの道のりにオカシイ点はないか?なんかを把握するのに便利です。

論理というのは条件がいろいろあったりします。先程の例でいうと、なぜ「お腹が減った」から導かれる結論が「ドリアンを食べよう」ではなかったのか。ここの思考の流れには何かしらの条件がありそうです。中華が好きだとか、臭くないものがいいとか、冷蔵庫にあるものを使うとか。

だいたいの人間は、何かしらの条件と論理をもとに判断を行っているはずです。意識しているかは別として。なので一般的に言われる論理派か感覚派かというのは、何かしらの判断において、その論理を自覚することを重要視するか否かの違いなのかなと思います。

つまり、重要な判断において、何故その結論に至ったのかを説明できるようにしてから決断したいのが論理派。その判断において、何故かはわからないけどとにかくこっち!という状態で決断してしまうのが感覚派。そんな分類でいかがでしょう。

東京から西粟倉村に引越したという話をすると「なぜ?」と問われることが多いです。僕は冒頭で述べたように感覚派――つまり決断の理由が説明できないタイプの人間です。なのでこの質問はなかなか答えるのが大変です。単純に言えばなんとなく、なのですから。

ただ、説明できるかは別として今のところ「ああこの決断は失敗だったろうか」と疑問に思うことはありません。なので、理由は不明ですがたぶん正しい選択をしたのでしょう。半年で何言ってんだと思われるかもしれませんが、そこそこ確信めいたものがあります。

しかし説明できないものをそのまま放置しておくと、振る舞いが分からず危険です。ふと違和感が沸いてから、「あの決断は正しかったのだろうか」と自分を問い糺すのは中々の苦行だと想像できます。そういう疑問が湧くのは何かの困難がある時で、余裕も無いでしょうし。

なので、決断した後からでも、自分の持っている論理というのを明らかにする努力はしていきたいなと考えています。何せ感覚というのは驚くほど曖昧で惰弱ですから。僕のように強固な感性みたいなものが無いフラフラしてる人間はしっかり補強していかないといけない気がしています。

まあ補強が必要、という理由もまだちゃんと論理的に説明できる状態にはないのですが。

とにかくこういう形でいろいろと徒然に言語化するのは良い訓練になりそうです。まだ始めたばかりですが、これからもどうぞ宜しくお願い致します。