ジーグラーになりたい

川沿いに住む、とても信心深い男がいた。男はある日、辺りが洪水で沈むという話をラジオで聞いた。避難しなければ危険だという。

男は「私は敬虔な人間だ。全身全霊で祈りを続けよう。神が助けてくれるに違いない」と言い、避難しなかった。

やがて洪水により、 水位が上がった。男は二階に上り熱心に祈りを捧げ続けた。ボートが来て「このままでは危険だ!飛び乗れ!」と誰かが叫んだ。

男は「私は敬虔な人間だ。全身全霊で祈りを続けよう。神が助けてくれるに違いない」と言い、乗らなかった。

さらに洪水により、水位が上がった。男は屋根に上り熱心に祈りを捧げ続けた。ヘリコプターが来て「ここままでは危険だ!ロープを掴め!」と拡声器で伝えた。

男は「私は敬虔な人間だ。全身全霊で祈りを続けよう。神が助けてくれるに違いない」と言い、ロープを拒否した。

しばらくして、男は溺れてしまった。男はあの世で「神よ、なぜ私を救わなかったのか?」 と訴えた。男を見た神は驚いて、こう答えた。

「ラジオ、ボート、ヘリコプターを送ったじゃないか!なんで死んでしまったんだ!!」

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これは僕の好きな海外ドラマ「ザ・ホワイトハウス」で紹介される逸話です。

人間だいたい「正しいこと」をしている時は、どうしても盲目になりやすいなと思います。敬虔なひとが神様にお祈りするのはきっと褒められるべきことなんでしょうが、だからと言って周りを無視していてはどうにもなりません。

地域おこしとか林業再生とかは、なんだか「正しいこと」が多いです。そして正しいことをしていると高い満足度が得られるので、気づけばどんどんと自分だけの世界に落ちていきます。周りから差し伸べられている助けの手を振り払うくらいに。

ちょっと頑なになって、視野が狭くなってたようなのでこの話を思い出しました。柔軟に軽やかに、眼前に広がる世界をありのままに受け入れられれば良いのですが。まだまだご迷惑をお掛けしますが、これからも宜しくお願い致します。