なんか強い口調になったけど

対案のない批判というか愚痴・文句というのを、頭ごなしに否定するのはやめて欲しいです。

何かを否定する際に、対案が無いこと自体が問題だとされる風潮があります。いつ頃からか分からないですが「文句があるなら解決方法を言ってみろ」と言うのが無条件で正しいとされることになっているような。

おそらく何かを新たに始める際に否定され続けた人達が一定数いて、その人達が批判を押さえ込む時に使うロジックがこれだったんだと思います。「文句しか言えないなら、黙って見とけ!」みたいな。気持ちめっちゃ分かる。

しかし対策が無いなら何も言うなというのは、傲慢です。

何か嫌なことがあった時に、それへの解決策が同時に思い浮かぶようなことなんて稀です。宇多田ヒカルの歌にもあるじゃないですか。「泣いたって何も変わらないって言われるけど誰だってそんなつもりで泣くんじゃないよね」って。

泣くことくらい、許容するべきなんじゃないですかね。「あいつは泣いてるだけだからダメだ」はヒドイ。その時に何故泣いているのか、その理由に共感できるかできないかをこそ、考えて議論するべきです。

対案を述べよという人は、対案がないこと自体ではなくその"イチャモン"の発生源自体が嫌いなことが多いと思います。単に共感できないことを認めるべきで、相手に対案がないことを盾に本来の齟齬に向き合うのを避けるのはやめませんか。

要はもっと優しくなりましょうよ、という話です。