自分探しよりも

本当の自分を探す、というのは業が深いなあといつも思っていました。

西粟倉(弟の話を聞く限りたぶん海士町も)は「本当に自分がやりたいことを探しに来ました」みたいな人が移住してきたり、立ち寄ったりすることが多い場所のようです。まだこちらに来て1年と少しですが、そういう話はわりと良く耳にします。

だいたい皆「自分探し」という言葉は避けるのですが(だいぶ色々なものを背負わされた言葉なのでそれは当然)、他者から見たら「それはいわゆる自分探しなのでは…」みたいな例が結構あるのではという気がします。それが良い悪いという話ではなく。

いつも気になっているのは自分を見つけるというのがどういう状態なのか、ということで。人間は何かを探す時、おおよそ探しているものは脳みそに浮かんでいるはずです。そうでなければ、どう探して良いかも検討がつかないですから。

そう考えると、自分を探そう!と思った瞬間に、自分は見つかるはずなのです。自分はそこに居るので、探そう!と思い描いた時点ですぐそこにある訳ですから。それなのに思い悩むひとが多いので、自分探しというのは困難だなあと。

辛そうだなあとはいつも思うので、何かできることは無いかなあと思ったりしていました。

しかし今日ある人の話を聞いて、ああこれは一つの解なのでは、という学びを得ました。自分探しというのは、何かあるべきものを探すのではなく、単純に出会いを楽しむ旅になり得るのだ、と。目的地がある旅ではなく、旅すること自体が楽しい世界。

よく自分探しの契機になるのは「何だか違うなと思った」というやつです。その時に、「きっと○○な自分があるはずだ!」という流れが想像されますが、それよりも「ちょいと新しい自分を試してみよう」くらいのノリでいければ、人生がもっと楽しい旅になるのでは。

つまり「自分探し」よりも、「自分出会い」くらいのイメージで。

まあヒトそれぞれなのは間違いないし、何様だよ!って感じですが。幸せに生きていきたいですね。