自由なはずなのに不自由な

ピアノを目の前に置かれ「自由にしたまえ」と言われたところで、僕にできるのは猫ふんじゃったくらいのものです。本当はラフマニノフとかを優雅に華麗に演奏したい。別に何かルールなどで縛られている訳ではないのに、不自由極まりない。

自由であるというのは、単に縛りがあるとかないとかだけに収まる話ではないってことなんですよね多分。それでも、自由を論じる時につい規制にばかり気を取られるのは、それが不自由の責任を他人へ転嫁する方法だからなのかな?などと思ったり。

できれば自分の自由について、自分で責任を持てるようになりたいですね。ピアノを自由に楽しむにはピアノを練習するのが正しそうですが、人生を自由に楽しむにはどうすればいいのか。昔からそんなことをボヤーッとしながら考えたりしています。

いや、別にそんな不自由だなと思ったりすることは無いんですけどね。