龍の子太郎と林業ギョーカイについて

最近「龍の子太郎」という童話を思い出します。初めて読んだ時、なんだコレ!これ童話にしていいの?と思った記憶があります。なんて偉そうな子ども…。

とにかくその衝撃を受けた部分を、僕の記憶を頼りにちょっと説明します。ホンモノと違って覚えていたら申し訳ない。ちなみに思い切りネタバレです。

貧しい村に生まれた主人公には親がいません。母親は龍となり村を出ていったという話を聞いた主人公は、母親を探す旅に出ます。

いろいろすったもんだあり、主人公は苦難を超えて何とか母親に会うことができます。そこで母親が龍になってしまった理由を知るのですが、なんと母親は呪いで龍になってしまったというのです。

貧しい村には、魚を皆で分けるという大事な掟があったのですが、母親はその掟を破り一人で魚を三匹食べてしまい、天罰で龍になってしまったのでした。

まずこの時点で結構面白い。母親ワルモノなのかよ!そこ自業自得なのかよ!みたいな気持ちになります。でももっとトンデモナイな、と思ったのがこの後の主人公の思考です。

「確かに一人で三匹食べてしまったのは悪かったかもしれない。でも、もっとたくさん魚がいれば!魚を取り合わなくてもいいくらい、お米があれば!」

そこでその結論?!となって、これが当時ものすごく衝撃でした。

母親が実は罪人で、その罪のせいで自分と会えなかったと知った時に、そこで母を許すとか許さないとかそういう話じゃなくて、貧困なんて所に意識が向くのか!みたいな。

最近は誰であろうが全員が個々の悪事を血眼になって探す雰囲気があるというか。母親から理由を聞いたら「そっか…じゃあ仕方ないね」みたいな話で終わる気がするんです。

そこを龍の子太郎は不問にして、自分と母親の関係も超越して、一気にシャカイモンダイの話をしてて。この思考回路、凄くないですか?凄くないかなあ。

僕はスグにそういう考えにはなかなか至りませんが、好きです。

最終的に龍の子太郎は母の愛と自責の念を以て貧困を体当たりで解決します。もし図書館とか行かれた場合はぜひ確認してみてください。母親に会うまでも面白かったはずなので。

さて、最近なんでこれを思い出しているか、という話なんですが。

林業という業界は、たぶん、かなり貧しい村なんですよね。それこそ魚三匹食べると誰かが空腹で死んでしまうような。みんなそれぞれが生きることで必死。

だからかなりギスギスしてます。川上川下それぞれの内部も、その間の関係も、結構ハードな囚人のジレンマにいる感じで。それぞれきっと正しい選択をしてるだけなんですが。

これは、変えないとツライです。特に新たにこの世界に飛び込んできた若輩者には、互いの生命を狙うような世界で戦うには武器が足りないですし…。

たぶんなんですけど、誰かが圧倒的な勝者になるか、お互いを生存競争での敵と見なさなくてもいいような状態になるかを目指さないといけないんじゃないかと。

そんなワケで。業界全般が、めっちゃ調子いい!みたいな世界にできれば、お互いのこと気にせず、もっとお客さんとか山のこととかに集中できると思うんですよね。

山に関係してると、誰もが自然と笑顔になってしまう。僕はそんな未来を目指していきたいです。

ただ残念ながら、その理想へと繋がる道がどこにあるのかはよく分かりません!今とりあえず目の前に見えている方向を前と定義して、歩き始めてみたいと思います。

いろいろとご迷惑をお掛けすることも多いと思いますが、もがく様子をなんとなく見守っていて頂ければ、これほど嬉しいことはありません。