林業の記録をとっていく

ソフトウェア開発の世界では、生産性や品質を上げる仕組みについての議論が活発です。というかまあ僕の周りでは活発でした。様々な開発手法について勉強会が開かれ、これはこういう時に使うのが良いだとか、この手法を使う場合はこういうところに気をつけなければならないだとか。アジャイル開発とは、とか宗教論争ないし哲学的な話になることも多いですけど。

なぜ作るのか、なにを作るのかという問いに情熱的になるひとはマスコミなんかでよく見かけるのでそう珍しくないと思うのですが、どうやって作るのかに魂を注ぐコミュニティは比較的外に出てこないので、それを間近で感じられたのは本当に良い経験でした。特にエンジニアの方は個別具体のアプローチより仕組み化に意識が向くことが多く、そういう面でも勉強になりました。

林業でもそんなやりとりが活発化するのが良いと考えているのですが、林業は「やり方」のドキュメンテーションがほとんど行われないところに困難がありそうです。コードなんかと違って成果物も共有し辛いですし。いちいちデータの取得が面倒なんですよね。ソフトウェア開発がどんどん進化していくのは、そういう部分がラクだというのも大きいのかなあなんて思ったりしています。

とりあえず林業の作業に関するドキュメンテーションを少しずつ始めようと思います。まずは林業の本丸ではないですが、百森のやってる調査やら設計やら。

自分探しよりも

本当の自分を探す、というのは業が深いなあといつも思っていました。

西粟倉(弟の話を聞く限りたぶん海士町も)は「本当に自分がやりたいことを探しに来ました」みたいな人が移住してきたり、立ち寄ったりすることが多い場所のようです。まだこちらに来て1年と少しですが、そういう話はわりと良く耳にします。

だいたい皆「自分探し」という言葉は避けるのですが(だいぶ色々なものを背負わされた言葉なのでそれは当然)、他者から見たら「それはいわゆる自分探しなのでは…」みたいな例が結構あるのではという気がします。それが良い悪いという話ではなく。

いつも気になっているのは自分を見つけるというのがどういう状態なのか、ということで。人間は何かを探す時、おおよそ探しているものは脳みそに浮かんでいるはずです。そうでなければ、どう探して良いかも検討がつかないですから。

そう考えると、自分を探そう!と思った瞬間に、自分は見つかるはずなのです。自分はそこに居るので、探そう!と思い描いた時点ですぐそこにある訳ですから。それなのに思い悩むひとが多いので、自分探しというのは困難だなあと。

辛そうだなあとはいつも思うので、何かできることは無いかなあと思ったりしていました。

しかし今日ある人の話を聞いて、ああこれは一つの解なのでは、という学びを得ました。自分探しというのは、何かあるべきものを探すのではなく、単純に出会いを楽しむ旅になり得るのだ、と。目的地がある旅ではなく、旅すること自体が楽しい世界。

よく自分探しの契機になるのは「何だか違うなと思った」というやつです。その時に、「きっと○○な自分があるはずだ!」という流れが想像されますが、それよりも「ちょいと新しい自分を試してみよう」くらいのノリでいければ、人生がもっと楽しい旅になるのでは。

つまり「自分探し」よりも、「自分出会い」くらいのイメージで。

まあヒトそれぞれなのは間違いないし、何様だよ!って感じですが。幸せに生きていきたいですね。

BAND OF BROTHERSを観るべき理由

バンド・オブ・ブラザースという海外ドラマがあります。第二次世界大戦において米陸軍101空挺師団506パラシュート歩兵連隊第2大隊E中隊が辿った道筋を追うもので、僕が「戦争モノ」でいちばん好きな作品です。アメリカ本土での訓練からナチス敗北までを10話に渡り濃密に描いています。記事タイトルはわりと煽りっぽく書きましたが、僕がこのドラマを好きな理由を3つほど並べてみます。誰かがこれを機にバンド・オブ・ブラザースを観てくれれば嬉しい限り。

1. 無駄に感傷を煽らない

戦争というのは数えきれない人生が滅茶苦茶に振り回されるものです。それにまつわる世界を語ろうとすると、その物語は熱量が高く鋭利なものとなるのは仕方がありません。ですが、その意図が見えてしまうと一気にその作品を観ている自分というのを意識せざるを得なくなり、何だか作品に没入することが困難になることが多いです。それでも伝える言葉の重さで作品として成立することが多いし、そういった作品で心にしっかり刻んでおきたいものは幾らでもあります。しかしそれらは好きな作品というよりも、大切な作品になりがちです。

バンド・オブ・ブラザースは、少なくとも僕が観る限り、戦争を描く中では比較的ドライな作品です。映画ではなく10話のミニシリーズであるため、展開を焦らずにすむというのがひとつの要因ではないかと思います。兵隊の日々を淡々と描くことに集中するというのは多くの作品が何とかやろうとするものの、映画という形式の制限上できていないことではないでしょうか。その乾いている描写のおかげで、たとえば「戦争とは」「正義とは」などという大きな問いは保留した状態で、ただひたすらE中隊の行く末を固唾をのんで見守ることができます。気づいたら、画面に映される瞬間瞬間に没入しています。

2. しっかりと心を抉る

乾いた描写の結果、得られるのはこの兵隊たちが確かにそこに実在する人間だという感覚です。描かれるのは勇敢な英雄が活躍する武勇伝ではなく、かといって虐げられた弱者が勇気を振り絞り本物の英雄になるとかいう話でもなく、ただ必死に生きていく普通の人間達。静かだったりうるさかったり、熱かったり冷たかったり、戦争に適していたりそうでなかったり。そんなウィンターズ中尉が、ガルニア軍曹が、マラーキー二等兵が…彼らが過酷な戦争の日々にひたすら巻き込まれながらもがいている様子を見て、何も感じるなというのは無理な話です。

そして彼らがひたすらリアルだからこそ(ついでに言うと小道具や大道具類もすごい)、さまざまな悲劇が身を切るような切実さをもって迫ってきます。多少演出がかるものの、洗濯物を受け取るシーンは何度見ても鼻の奥がツーンとなりますし、収容所のシーンは導入の困惑が理解とともにゆっくりと静謐な恐怖へと変化していくのが見事です。それだけだと観ていないひとには何のこっちゃ分からないとは思いますが、戦闘自体のシーンはもちろんのこと、それ以外でもたくさんの出来事が身体感をもって迫ってくるので、作品を通して出会いと別れにあふれており、終わった後には心が空っぽになるような、もしくは一杯で溢れているような、良い疲労感があります。

3. ウィンターズが格好いい

普通の人間たちのドラマではあるのですが、部隊を導くウィンターズの格好良さは図抜けています。常に冷静な理性を持ち合わせながら、自らの行動を以て背中で部下を率いる様は理想的なリーダー像のひとつです。特段台詞は多くないんですが、1話を観終わる頃にはウィンターズ少尉への印象は信頼感の塊に。これは訓練を担当するソベル中尉がどの方面から見ても信頼ならない腹立つクソ野郎だからというのもあるんですが…。不確実な世界を生き抜く上で、信頼できる指導者がいるとどんなに心強いことか。自分もそうなれるよう精進します。モデルになった本人のインタビューも素晴らしい。

ちなみにウィンターズ以外だと馬鹿みたいに格好いいのは間違いなくスピアーズで、なんか一人だけ現実から抜け出して特撮か劇画の世界に紛れ込んでしまったのではないかという雰囲気です。そんなスピアーズのシーンは別の作品を観てるのかと思うくらいなものの、めっちゃテンション上がります。ドンパチな戦争映画の爽快感もそこそこ得られます。全般的に地味な作品ですが、スピアーズ少尉とガルニア軍曹のおかげで華というか勢いがあります。若干ウィンターズと被りますが、4話の主人公ランドルマンも安心感があって一緒にいて欲しい存在。かくありたいものです。

ざっくり言うと、ドライで地味でただの現実っぽいのだけど描くものが戦争なので心に訴えかけるものが否応なくついてくる、格好いい大人達の物語です。書いてて思いましたが、「この世界の片隅に」の兵隊版と思ってしまっても良いかも知れません。舞台や描き味、背景にまとっている歴史は全く違うものの。

バンド・オブ・ブラザース予告編は以下の通り。

感動巨編という言い方は少し違うなあと思いますが、使い古された「真実の物語」という言葉はこの作品だとしっくり来ます。この物語だけが真実だ!という種類の真実ではなく、ああきっとたくさんの真実があって、歴史の中で消えたり紡がれたりしているのだな、と想像できるタイプの真実です。Amazonプライムで観れます。

翼のために

翼のために

丸太の値段あてゲーム

全く知らないものの値段をあてるのはかなりタイヘンです。たとえば鉄1kgっていくら?と言われても手も足も出ません。なので林業に関わらないひとに丸太の値段を聞くなんて暴挙なわけです。

それでも木というのはプラスチックなんかに比べるとイメージがわくので、何となく答えられそうな気が…しちゃいませんかね。そんな訳で、お祭りの一貫として丸太の値段をあてるゲームをしてみました。

4mの丸太を3本並べてそれぞれ値段を予想してもらいます。道具を使った計測はなし。いちばん近い予想をしたひとに賞品が!というルールで、20人の子どもと49人の大人が参加してくれました。

スギで建材用、合板用、チップ用をそれぞれ準備しました。建材用が2835円、合板用が径級1725円、チップ用が468円で、合計5028円也。この辺だと4mのフツーなのは大体こんなもんなハズ。

参加して頂いた大人な皆さんの予想額をまとめてみました。

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たぶん東京とかでやってたらもっと違う結果、というかもっと高めに出てたはずじゃないかなと思います。さすが西粟倉、特に山関係の方はかなり近くまで寄せて来られてました。(当てたのは全くの素人さんでしたが)

それでもやっぱり高めに出てたのは、少し知ってる方でも、立米あたりの単価と丸太の値段を混同する方が結構いるからなんじゃないかなーと思います。立米単価を聞いたあとで手元に入る額を聞いて、がっかりされる方は結構いらっしゃいます。

現状における木の値段についてのイメージを少しでも掴んで頂けただろうというのと、皆さんの認識をそれとなく知ることができたので、この企画やって良かったかなーと思います。何よりいろんなひとと話せて楽しかったですし。改善点は多いですが。

木が安いからといって絶望してても仕方がありません。希望のあふれる山の未来を描いていきますので、どうぞ今後とも宜しくお願い致します。

シカ柵をした山の写真

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西粟倉村内の山に、部分的にフェンスで覆った場所があります。フェンスで囲むとシカが食べられないので、部分的に緑色の林床が復活します。写真だと少し分かりづらいかもだけど、実際に見ると明らかにそこだけ砂漠化が止まったみたいな雰囲気です。囲ってない場所はシダやミツマタくらいしか生えてないですからね。

シカが増えた理由はにいろいろ仮説があって、減らない理由というのも複数の要因があって、たぶんコレを修正すれば全部解決!みたいな話にはならないんだと思います。生態系、複雑怪奇なり。でも現実にシカが侵入できないようにすることで風景に緑が復活する様子を見ると、なんとかしたいなーと思わざるを得ません。

山はだいたい外から見ると閉じた世界なので(物理的にも社会的にも)こういうことをもっと分かりやすく伝えていければなーと思うのですが、どうも日々の業務を回すのにイッパイイッパイになってしまって良くないですね。山のことをいろんな人達に知ってもらうのは、業務的にもプラスなのは間違い無いのですが。

仕事をしている自分達だけでいろいろ見てヘタな方法で伝えていくのではなく、積極的に山を開いていって、みんなが勝手に見て感じることができる状態を作れればなと思っています。まずは手始めに、たとえば作業道をつかったウォーキングとかトレイルランとかそういうあたり。

西粟倉の方言いくつか

こっちに来て最初に覚えた方言はたぶん「ガイダ」だと思います。カメムシのこと。最初は何のことか全く分からず軽くパニックだった。「ガイダがおるけん気いつけや」とか。ちなみにめっちゃいる。

よく使うのは「なるい」「さがい」です。山の道を設計する時によく出てきます。「なるい」は平坦で「さがい」は急峻。大成ル(おおなる)や成ル林(なるばやし)なんて地名もあります。わりと名前通り。

「たいぎい」は面倒くさい的な意味で使います。たぶん「大義である」から来てるはず。ちなみに大分では「よだきい」がだいたい同じような意味で、こっちは「余は大義である」からということでした。*1

先日は近所で種まきを「てご」しました。「てご」は手伝う的な意味です。「てごしてくれ」とかよく言います。ちなみに株式会社百森では事務所あわくら温泉駅の美化をてごしてくれるひと募集中です。

「○○ばー」というのも耳にします。「この辺はこまい木ばーじゃけ」この辺は細い木ばかりなので、という意味です。〇〇ばかり、というのが○○ばーに変換されるんですね。合理的な略し方な気がする。

西粟倉岡山県ですが、言葉的には鳥取や兵庫もだいぶ混じってる感じがします。ちょうど県境でしかも峠道もあり、こんな山奥ながら実は結構ひとや文化の入り混じる場所だという噂です。現在進行形。

ちなみに僕はこっちでわりと「じゃけん」とか「じゃろ」とか言ってます。ネイティブな方からすれば(そして以前からの知人友人も)違和感あることが多いかもですが、どうぞご容赦ください。

方言に限らず、専門用語でも外国語でも、相手の言葉を学ぶというのは時間を共有する上では結構な武器になると感じています。経験則。尤も、有利になるから覚えよう、というのは寂しい話ですが。

*1:よだきいは鳥取だと悪口らしいので注意が必要

ワイルド・ワイルド・カントリーのすゝめ

とんでもなく素晴らしい理想を描く、あるカリスマがいます。そのカリスマの言うことは美しく壮大で、心から共感しているフォロワーが多く存在します。

カリスマの語る理想はあまりにも現実とかけ離れており、常識ではただの夢物語です。確かに良いんだけど、できないよね?と言われることばかりです。

しかし、フォロワーの熱量はそういった既存の世界のしがらみを突破していこうとします。戦いは熾烈を極めますが、それほどに価値のある理想なのです。

ある日フォロワー達は気付きます。既存の世界にわざわざ認められなくても、自分達の世界を作ればいい話なのだと。全く新しいコミュニティの誕生です。

他者の排除を目的とした、閉じたコミュニティではありません。誰でもその理想に共感すれば門をくぐることができます。全てを包み込む、暖かい世界。

現代においてコミュニティと言うと、バーチャルなものを想像しがちですが、そのコミュニティは現実に存在する、物理的なものになりました。村です。

ある田舎の一角に、そのコミュニティはできました。カリスマの理想を実現するために、各メンバーが独自に考えながら動く、生きもののような村が誕生します。

すごいことです。

…で、その辺から独自の武装警察配備、選挙による民主的な地域のっとり、バイオテロや要人暗殺みたいな話へと展開していく。そんなドキュメンタリーがあります。

おすすめです。いわゆる地域おこしやコミュニティ形成なんかに関わるひと、他所から何処かへ移住しているひとなんかは特に観て欲しい。

主にふたつの立場が取り上げられているんですが、どっちもヒドイしどっちも納得できる。"世界を変える"や"常識を覆す"といったことの、危うさ妖しさ面白さを僕は感じました。

人により違う視点で違う味わい方があります。ワイルドワイルドカントリー、だいぶおすすめ。